横澤さんのこと


ツイッターでつぶやいたことを

そのまま、示しておく。










横澤さんはいまにも起き上がりそうな、冗談ぽい顔で、息をしているようだった。涙がでた。


最期までやはりフジテレビマンだった…

いい同期をお持ちだった…・




枕頭には読みかけの本と、おみくじ。




自分のことを語るときに横澤さんの弟子ですと言うのだが、ちょっぴりそんなことを喜んでくれる横澤さんに感謝していた。先日ご挨拶申しあげた森田健作千葉県知事に、知事がいいとものレギュラーだったころADでして、横澤の弟子でしたと自己紹介したら、物凄く喜んでいただいた





横澤さんがフジを退社されるとき、横澤トンズラスペシャルと言う番組をプロデュースさせていただいた。ふざけた、素晴らしい人生だった。


毎年元の部下たちで、お花見の会とお月見の会を横澤さんのご自宅の近所でやっていた。前回のお月見を欠席されたので本の対談がじっくり話した最後になってしまった。残念。もっと聞いておきたかったことがいっぱいある…






いつかはと思っていたし、覚悟もあったからきっと泣かないと思っていたのに、あんなふざけた寝顔を見せられたらもう泣くしかない…




自分に引き寄せて言えば、インゴの良夫さんやホワイトのミーコさんがなくなったときの喪失感。横沢彪のいないこの気持ちをどうすればいいのか。青春はいつか終わるものと知ってはいるものの




本日、横澤彪さんの御通夜。池上本門寺

横澤彪さんの葬儀終了中本さん、栗原小巻さん、山崎努さんの弔辞に涙が出た









横澤さんの葬儀、AD時代に戻ってお手伝い。
出会うひと出会う人が納得の顔。
師匠の葬式を手伝える不幸としあわせ。
思い出を共有している人たちの肌は暖かい。
それが80年代というテレビの最高の果実の思い出であるように。





ふたたび横澤さんの御顔を拝ませていただいた。
やっぱり今にもコントの終わりのような、ふざけたままだった。
遺影は元気に前へすすむ気持ちのまま。
1月2日に横澤さんが、池上本門寺で引いた大吉のおみくじには、
さみしさに何とはなくて来て見ればうれし桜の花ざかりかな、
と書いてあった。