カメラワークもバタバタで音声も取りこぼしが多いとせっかくの面白さが伝わらない。
コンテストではないにしろ
若手にとっては人生の分岐点になるかもしれないのだから死活問題だ。
コントや漫才でアップが多いと、演者の世界でなくディレクターの感性しか伝わってこない。
それならいっそ残念ながら収録の方がいい。
高い編集室に
何十時間も篭って
心ゆくまで自分と対峙すればいい。
そんな歴史が
いざという時の
生のパワーを失わせたのかもしれないが。
ただの老人のボヤキです。
その昔、
フジテレビでは演芸番組の生は
スポーツ中継のスタッフが見事にやってた事を思い出す。
状況を見せて
なおかつ感情とドラマを見せる、
まさにスポーツ中継の極意なんだ。
ピッチャーとバッターの緊張感から一本のホームランへ。
球の行方と選手の気持ち。
ベンチのドラマ。
そりゃもう生で描くの、大変だ。
念のため。
コンテストの中継はまた違う感性だと思う。
審査員と、現場の観客と、テレビの前の視聴者が矛盾なくそのネタを楽しみ、批評し、採点するのが役割だから。
しかも参加の芸人に愛がある事が条件。
少しでも芸人を下に見るとそうはならない筈だ。
本件、
特に誰かを批判するものではない。
演芸番組というものも意外と技術的なものに支えられてるという事が訴えたいだけなのだ。