2016年05月

ちょっと、随想風のフィクションもいいかな、と思う。


近江路は懐かしいようで遠い。

少年のころ乗っていた快速電車が
開通したばかりの湖西線まで行くのか
行き先が堅田という耳慣れぬ地名で
ぼうっとした、遠くのくに、という響き以外には
まるで想像の働かぬ 記憶があるのみである。


一方で
琵琶湖バレーだとか
竜王スケートセンターとか
下世話な宣伝文句は妙に口につくのであった。

むろん歴史に登場する
様々な存在、近江京だの瀬田の唐橋だの
六角氏だとか
浅井朝倉氏だとか
安土城や長浜城 
歴史小説やドラマではよく知っているつもりになる。


しかし
人生を振り返ってみると
現在の滋賀県に降り立ったことは数えるほどしかない。


日本の古代、中世から
王城の地の周辺でなにかを見てきた風景を
確かめに行きたくなった。


そんなことから
ある、初夏のころ
京都から湖東の地に向かうことになる。 


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岩崎夏海はよく怒られていた。

もっとも記憶に残るのは
TBSの若手との会食後
有名放送作家とその会食相手と銀座で合流。
ワインバーで飲んだ後、鮨屋へ。
こちらもすでに広尾で中華を食べてきているのだが
F先生がご自分の行きつけに少し顔をだすというのでお付き合いである。

先方の会食相手も一緒で大人数でカウンターを占領。
一通り盛り上がって、さあ帰ろうと
お会計をしましょうかという雰囲気。

F先生が自分の店だから支払いをしようとすると
岩崎君が、いや、すべて終わりましたと澄ましている。

いやF先生の顔もあるから
そういうことじゃなくというと
すでに僕のカードで領収書もいただき済み。



思わず激怒して
ここはリセットしてやり直しというと
本当に情けなそうな顔をする。
全員がちょっと、あーあという雰囲気になる。

そういえば
この人を雇うときにちょっぴり先輩の業界人が
注意するように助言してくれたのを思い出していた。



いい加減、年齢も行っているのだから、とあきれることもあったが
さすがの岩崎夏海は着々とエネルギーをためていたのであった。


そのあと
彼の大成功に目を見張ることになる。 

フジテレビ制作センター時代には
ゴルフに誘われることも多く
下手なりによく行っていた。

まだ、吉田正樹事務所の一年目は
フジテレビバラエティーゴルフコンペにも
よく呼ばれており
また50周年特番のコンペでは
さんまさんを抑えて優勝などしている。



手帳によれば
フジテレビのころ年間50回くらいだったのが
この年は30回程度になっていた。





のちに
こんなに講演とかすることになろうとはと
思うことになるのだが
この年はまだ依頼も少なく
民放労連に続いては
従来、本当に仲間としてバラエティーを作ってきた
ニューテレスの社員研修だった。
こんなお声も不安な将来を考える僕にとっては
誰かに必要とされる喜びをかみしめる
大きな機会になっているのだった。

それにしても
無意味に夜の会食は多かった。
大きな会社から外へでると
やはり目的をもって出会いを探すことになる。
愚痴や不平など、ネガティブなことを
楽しむ余裕もなかった。


この年は
岩崎君も多くの会食に付き合ったが
こちらも、サラリーマンなどやったことのない
根っからの自由人だから
僕に怒られることも多く
右往左往とはこのことだ、といっても過言ではない。



フジテレビ時代に
お笑いを本職としていたわけだが
ホリエモン騒動を機に
SBIインベストメントとも兼務して
ファンドの目利きの修行もし
また来るべきデジタル時代に備えるべく
デジタルコンテンツ局も志願して兼務したりして
意外と番組バカからの脱却を目指してきたこともあり
ぼつぼつ、ベンチャー系の人脈や
インターネット業界ともつながりを
持ててきたのであった。


しだいにテレビとネット
そしてコンテンツ論が
自分の中での主軸になってゆく。




 

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