2011年01月

名古屋で寒ブリという旅をした。


東海テレビの皆さんと

フジテレビの時代に

一と八の会というのをこしらえて

ご飯などしていた。


一と言うのは中部地区における東海テレビの

チャンネル番号だし

八のほうはいうまでもあるまい。

また最初に行った店が月島のいちとはちというお店だった

ということもあるかもしれない。


そんななかで

名古屋の得仙という鮟鱇鍋の話題になり

さらにやはり寒ブリの鍋がおいしい

それには名古屋の司で行こうということで

東京支社から集まっての

寒ブリである。



本来はふぐなどを出す店のようだが

名古屋中心からは少々外れている。


元CBCアナウンサーの加藤千佳さんの

参加も得て賑やかな会になった。


名古屋の弟子志望のI君も参加。


氷見の鰤の半身を

刺身と大根のアラ煮、

ブリしゃぶにしてくらふ。


別に鯖鮨も頼んだのだが

これがまた絶品である。


欠点は

量が多くてふうふう言ってしまうところだろうか。



ワインバーから夜食のカレーうどんへ回ったら

一杯の行列で

参鶏湯をいただいて

深夜の帰還。


翌日は

新幹線のホームで

きしめんをいただくのは

お約束。



横澤さんのこと


ツイッターでつぶやいたことを

そのまま、示しておく。










横澤さんはいまにも起き上がりそうな、冗談ぽい顔で、息をしているようだった。涙がでた。


最期までやはりフジテレビマンだった…

いい同期をお持ちだった…・




枕頭には読みかけの本と、おみくじ。




自分のことを語るときに横澤さんの弟子ですと言うのだが、ちょっぴりそんなことを喜んでくれる横澤さんに感謝していた。先日ご挨拶申しあげた森田健作千葉県知事に、知事がいいとものレギュラーだったころADでして、横澤の弟子でしたと自己紹介したら、物凄く喜んでいただいた





横澤さんがフジを退社されるとき、横澤トンズラスペシャルと言う番組をプロデュースさせていただいた。ふざけた、素晴らしい人生だった。


毎年元の部下たちで、お花見の会とお月見の会を横澤さんのご自宅の近所でやっていた。前回のお月見を欠席されたので本の対談がじっくり話した最後になってしまった。残念。もっと聞いておきたかったことがいっぱいある…






いつかはと思っていたし、覚悟もあったからきっと泣かないと思っていたのに、あんなふざけた寝顔を見せられたらもう泣くしかない…




自分に引き寄せて言えば、インゴの良夫さんやホワイトのミーコさんがなくなったときの喪失感。横沢彪のいないこの気持ちをどうすればいいのか。青春はいつか終わるものと知ってはいるものの




本日、横澤彪さんの御通夜。池上本門寺

横澤彪さんの葬儀終了中本さん、栗原小巻さん、山崎努さんの弔辞に涙が出た









横澤さんの葬儀、AD時代に戻ってお手伝い。
出会うひと出会う人が納得の顔。
師匠の葬式を手伝える不幸としあわせ。
思い出を共有している人たちの肌は暖かい。
それが80年代というテレビの最高の果実の思い出であるように。





ふたたび横澤さんの御顔を拝ませていただいた。
やっぱり今にもコントの終わりのような、ふざけたままだった。
遺影は元気に前へすすむ気持ちのまま。
1月2日に横澤さんが、池上本門寺で引いた大吉のおみくじには、
さみしさに何とはなくて来て見ればうれし桜の花ざかりかな、
と書いてあった。









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