なにげに立ち寄ったゆで太郎で、
大みそかから
年末年始が全休だということを知る。

働き方改革で人手も足りないのかなあ。


これからいろんなところが閉じる世の中になるだろう。
ドイツ🇩🇪では日曜日に商店は全部閉まるのを思い出した。


消費者としては不便になるが、我々がそういう社会、
政治を選択したんだから仕方がない。
僕は反対だが(笑)

働き方を改革して人生をエンジョイしようとしたら、
サービス業はギブアップで楽しむところがないのは笑えない。

独居高齢者は大変になる予感がした、
自分の時にはそうならないで(笑)と呟いた。

お笑い界ではM-1に付いて語られる時期だから
少しコメント。

今回は
価値観の相違ということを
ちゃんとわかっている審査員の布陣はすごいと思った。

コンテストというものは価値観の戦いなのだ。
だから見どころは実は審査にある。

このところM-1への不満は技術コンテストに堕して、センスや革新的な価値の転換、作品の思想性が審査基準でおろそかにされている点だったが
今回の志らく、塙、サンドの加入でバランスが格段に良くなったと感じる。
もちろん巨人師匠や上沼さんの盤石のスタイルはリスペクトすべきだ。

ただ
漫才師という生き方、その思いのコンテストにしてしまってはダメなのだ。
かつて談志家元が落語を伝統芸能にしないように現代を表現するものとしてとらえたことが漫才にも言える。
技術論だけではいずれ漫才も古典芸能になってしまう。

願わくば予選の審査員たちもこのことを肝に銘じるべきではないだろうか。
コンテストの使命は発掘にある。
その意味で今回の結果は十分に意味がある。

いわゆる漫才という概念を超えるスターを生み出してほしい。

コントの方はやはり形式が縛られない分自由であり新しい感性が登場する可能性が大きい。
キングオブコントが戦いでなく、どこか自由な風、のびのびしたおおらかさを感じるのは僕だけではあるまい。

残るのはうまい人ではない、すごい人だ。
ボヘミアンラプソディーを観て
なおさらそう思う。

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